2012年9月5日水曜日

新事務所オープニング記念「多世代ダイアローグ」のご報告

先日のオープニングパーティにはたくさんの方にお越しいただき、ありがとうございました。
パーティの中で行われた「多世代ダイアローグ」はアクションポートらしい企画となり、横浜の市民活動を考える、大切な機会になりました。
その時の記録ができましたので、皆様にご報告をしたいと思います。

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内海氏: 60代から20代まで、多世代のダイアローグをしたいと思います。
世代間のバラエティの豊かさと大学や企業、NPOなどの多様な立場からかかわっていることがアクションポートの特色でもあります。

○嶋田昌子氏(社会教育から地域へ) NPO法人シティガイド協会理事
 横浜の市民活動はどうすすんでいったのか、という話をさせていただきます。  
 横浜の戦後からといきたいのですが、時間もないので、簡単にお話しします。
戦後の横浜、そして米軍からの接収は、その後接収が解除されてから横浜の明るい未来が始まったといっても良いと思います。「コクリコ坂からの時代が、明るい横浜の未来を」でした。東京オリンピックの前年の1963年でした。
 その前年に、飛鳥田さんという革新市政の時期になり、その時代に今の横浜の骨格が作られました。みなとみらい、港北ニュータウンなど、その時期にすべて築かれています。
 今から50年ぐらい前、女性たちを中心に、消費者活動が盛んになり、そこからファイバーリサイクルなどの活動も生まれました。その活動はまだ続いています。また、社会教育で学んだものを社会に還元しよう、という活動は、国連婦人の10年が後押しをしました。そこで、社会教育から立ち上がったシティガイドの話しをします。
 シティガイドは、自分たちが横浜について学んだことを社会に還元しようという思いでできたものです。ペリー来航、開港以来、約150年を経て横浜の人口は現在369万。ペリーの時には400人くらいしかいませんでした。本日のパーティ参加者約40人の中でも、横浜で生まれ育った人はたった4人です。それぐらい、横浜は他都市から移住して来た人たちで構成されている街です。横浜市民であっても、横浜のことを知らない。それでは街づくりができない。だから、横浜市民にもっと横浜のことをわかっていただこう、というのが、シティガイドのはじまりです。
 現在、多くのコースがあり、講座も開催しておりますが、横浜ゆかりの人が企画し、横浜に住むからこそわかる、というような内容になっています。毎年約1万人のお客さんを案内しておりますが、その半分が横浜の人です。そういう点では、当初の目標通りの実績になっています。

○土屋真美子氏(カオスからNPOへ) NPO法人まちぽっと理事
今回は第二世代だということで話をしますが、私自身は「NPO」という意味では第一世代だと思っています。
私はアリスセンターの初代事務局長です。といっても、強い想いをもってアリスセンターを立ち上げたのではなく、雇われ事務局長として、縁もゆかりもない神奈川に来たのがきっかけです。それが1987年、当初のスポンサーは生活クラブ生協で、市民活動の情報を集めるセンターを作ろう、というのが当初の目的でした。ですから、私は当時はほとんどいなかった専従スタッフとして、市民活動についての情報を集めはじめました。
その頃の神奈川は、86年チェルノブイリでの事件の影響で反原発運動が盛んであり、逗子の池子では米軍住宅反対運動があり、その流れから基地問題に対する運動も活発でした。また、障がいのある方々の当事者活動もありましたが、そのほとんどは行政に政策の修正を求める、アドボカシー活動が中心でした。ただ、この頃はじめてNPOという言葉がアメリカから入ってきました。
アドボカシーが盛んだった時代から、「もう行政に期待してもダメだ。自分たちで何とかしよう」という活動に変化していったのが、1990年代のはじめです。たとえば、不登校やDVといったテーマでは、自分たちで相談窓口をつくり課題解決まで事業として取り組み始めました。運動体から事業体に変わる団体が出てきたのです。
そして、事業体になると契約行為が必要になります。でも、社団や財団といった法人格は簡単にはとれない。簡単に取得できる法人格が必要だという声が大きくなり、全国的に市民団体のための法人を作ろうという動きになっていき、94年12月にシーズが設立されました。
その翌年に阪神大震災があり、NPOの活動への社会的な認知度も高まって行き、3年後の98年にNPO法ができることになります。
現在、NPOは全国に45000くらいありますが、かなりの部分が行政の外郭団体になっているように思え、危機感を覚えています。こうした危機感を打破するにはどうすればいいか、というと、自分たちのセクターだけで解決するのではなく、他セクターとの連携がカギだと思います。アクションポートのミッションはセクター間連携です。NPOとだけでなく、企業や様々な組織とコラボレーションをしていき、私たちの10年をつくっていければと思っています。

   大川哲郎氏(JCから社会貢献活動へ) 株式会社大川印刷 代表取締役社長

まずは自己介致します。大川印刷代表取役社の大川です。明治の初めに薬種貿易商としてスタトした「原屋」の6代目の息子が1881年大川印刷を作りまして、昨年で130周年を迎えました。私は6代目の社になります。
JCとは青年会所のことで明るいかな社会をるため、まちづくりを推していく、20から40までの地元の経営者の集まりで、世界各国にあります。
2002年に横浜青年会において社会起家の調査研究を担当しました。10年前ですので、在とは多少ってはいましたが、刺激をたくさんもらいました。これまでのまちづくりでは、「ボランティア」という意が今までありましたが、本当に社会のに何ができるのか、言では明るい社会のためにと言ってはいましたが、本的なことについて考えるようになりました。また、代や社会が化して行く中で「JCがある代からJCもある代」になってきたという危感もえました。
そして、企での社会献活についてですが、当初は景して良くない中で、「この代に社会献をするとは何事か」という叱りを受けたこともありましたが、代において社会献活は天下無敵経営哲学であると思っています。企が持可能な経営をしていくためには
地域に必要とされる企となること、そしてその会社でく人が地域で必要とされる人であること、そうした企を目指していきたいと思います。
3年前から地元の大学から期インタンシップ生を受け入れていまして、会社にいながら社会践について取りむプロセスの体施しています。
としてこれからは志のかなNPOの方たちを携していく必要性を感じていますので、是非他のセクタ、他世代の方からいろいろと学んで行きたいと思います。

   高城芳之氏(学生から社会に関わるシゴトへ)NPO法人アクションポート横浜事務局長

新卒でNPOに入ったという変わり者です。2002年に大学で活動をはじめたのですが、もう10年たってしまいました。僕の世代は学生時代から、そういたボランタリーな活動をしていた人も多かった世代だと思います。ただ、自分よりも約10年下の生田目さんの時代と違うなと思うのは、自分の時代には、自分たちがやりたい活動がないな、と思った学生が、自分でサークルをつくったりして動いてきた点です。大学にボランティアセンターができてきたのも、自分たちの世代で、大学生のボランティアサークルを作ってきた世代です。僕も自分の大学でやりたい活動がなかったので、自分でサークルをつくって活動をしてきました。
 僕が地域で活動を始めた時には、地域に学生が全くいないので、すぐ人気者になりました。地域にはどこにも学生がいない。でも、大学で話をしてみると、地域で活動したい学生は多い。だったら、マッチングしようと思ってつないでみました。ところが、全くマッチングしない。人と人を合わせるだけでなく、ちゃんと関係をつくらないとつながらない、ということがよくわかりました。
 それが縁で、地域の人たちとつながり、自分がやりたいと思っていたことに近いと思って、NPOに就職することになりました。
 当時、親はNPOに就職と言っても、よく理解できない。だから、親からは決して賛成されませんでした。で、自分としてもどうしようと悩んだ時に、佐野さんや益田さんのような、地域で活動している人たちに、後押してもらいました。だから、よし、やっぱりやろう、と思って、NPOに就職することができました。
 NPOで食っていけるか、ということは自分の世代では大きな課題です。それを横浜だけでなく、他の地域でも同じ課題を抱えているのでいろんなところと一緒に考えていきたいと思います。
また、自分が多くの人たちに支えてもらったように、学生など、下の世代とのつなぎ役、伝える役目も僕らの世代に必要な役割だと思っています。
 僕の世代では社会起業家やプロボノ等、多様な関わり方が増える中でNPOはどこがほかのセクターと違うのか、自分はNPO職員として何ができるかの答えを出していきたいと思います。

生田目彩花氏(現役学生から横浜へ)フェリス女学院大学3年生

ボランティアについては選択肢がたくさんある世代というのが私の世代の特徴です。
インターンシップをきっかけにNPOに関わり始め、現在はいろんな活動に参加しています。活動をしてみて、思いを形にするという面白みや、いろんな人たちと当たり前に出会うこと、伝えたことが形になったり、伝えた人たちがボランティアを始めたりするなど、活動を通じていろんなことを感じています。
是非もっと、いろんな学生に参加してもらいたいと思います。

以前、NPOで活動している人たちのきっかけを取材したときに、入り口がたくさんあることに気づきました。キーパーソンに出会ったり、イベントに参加したり、ちょっとしたきっかけが大きくなって思いに変わっています。
そういう一歩を踏み出す人が増えたらきっといろんな人が横浜の主役になれると思います。そうした活動を続けていきたいし、楽しいことを広めていきたいと思います。

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