2012年9月20日木曜日

「波止場食堂」へ訪れました!

こんにちは!そろそろ秋の匂いがしてきたなあと感じる今日この頃ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

秋は行事が多く、人と関われる機会が増えますね。私は今年も“実りの秋”にしたいなと思います。




さて今日は、
横浜コミュニティサイクルbaybikeのブログの取材に同行して、「波止場食堂 山下店」へ訪れました!
ブログ「baybikeクルーの雑記帳」-http://yokohama-baybikecrew.jp/?p=105




マリンタワーの近くで、山下ふ頭厚生センターというところにあります。

ここは・・・
安い!!                    うまい!!                   早い!!

の3拍子が揃っています!

















ズームしてみると・・・・














「豚肉の七味焼き」に串カツがそえてある!!!



大サービスですね!





豚汁定食 450円

















どこが運営しているかというと・・・

「社団法人 横浜港湾福利厚生協会」
横浜港で働く人たちを支える役割をしているところです。


でも、この食堂は一般の人も入って良いようで、スーツを着たサラリーマンの方が多くいらっしゃいました!


なかなか見つけにくい場所ですが、不思議と働く方たちは集まっています。



本来の対象は港湾で働く人達。

でも、一般の人も使って良いとオープンにしておくことで、結果的に人伝えにどんどん広がって、多くの人にとって役立つ場所になっているのだと気づきました。


学生スタッフ 佐川







2012年9月14日金曜日

企業とNPOの協働へのヒント~大人のインターンシップ~を開催しました。

こんにちは。T城です。
先日、NPO法人横浜スタンダード推進協議会さんと共催で
「企業とNPOの協働へのヒント~大人のインターンシップ~」を開催しました。

今回の企画は企業とNPOの協働に向けて、現場で体験しようという企画で、これまで交流会やバスツアー等を開催してきましたが、「やはり現場に行ってみないとNPOとの連携や協力は見えづらい」という声から企画実施に至りました。

当日、第一部は2コースに分かれて、NPOの現場を体験。
Aコースは鶴見川での活動、Bコースは寿町での活動でした。

僕はAコースに行ったので、その様子をレポートします。

Aコースは京急花月園駅に集合して、鶴見川の川辺へ。

参加者は横浜型地域貢献認定企業の社員の方や関係者、約20名。
多くの方が初めて鶴見川に来た、という方がほとんどでした。

会場に着きましたが、
天気はとってもよく、暑い!!!


今回は下流ネット鶴見さんという団体に受入をしていただきました。
まずは鶴見川について、川辺での活動についてお話を伺います。

そして、清掃活動。
水辺には上流から流れ着いて来たごみや、不法投棄されたごみなどを拾いました。



その後は川に入って魚取り。

準備ばっちりの大川社長。
ライフジャケット等も団体さんにお借りしました。




ハゼやボラ、カニ等がとれました。



というような体験をして、今度はバスに乗って桜木町、日本丸の会場へ。
Bコースには伺えませんでしたが、寿町でさなぎ達の活動説明や街歩き、草むしり体験等を行ったそうです。

後半は振り返りも兼ねたワールドカフェです。
進行はteam OPEN YOKOHAMAの方々が実施してくださいました。

テーマは、①印象に残ったこと 、
②NPOと企業の協働の可能性
③NPOと企業の協働がつくる横浜の未来

今回、参加した方はこうした現場に初めて参加した方も多く、
いろんな意見が出ました。
中でも面白かったのは
「現場に行ってみたら参加者よりもNPOスタッフの方が楽しそうにやっていた。
活動って大変なイメージがあったけど、楽しくやるから続くという側面があるんだ」
「ボランティアをしようとは思わなかったけど、現場を見て、何かしら支援したいと思った」
なんて意見ですね。
印象的だったのは活動を「知る」のでも、「行く」だけでもなく、「やってみて」の感想がたくさん出たこと。
これは今回の大きな成果だと思います。
こうした機会を継続してやりたい、という意見もありましたので、今後も是非続けて行きたいと思います。

今回は参加した僕も楽しく、貴重な機会になりました!

2012年9月6日木曜日

明治学院大学生からのヒアリング

今日は、明治学院大学3年生の女の子2人が来てくれました!

目的は、事務局長の高城へのヒアリング。

















○学生時代、戸塚で活動していて達成感を感じた事は?

続けられた事。地域の人も学生の活動は続けられないだろうとあきらめている状況がある。そのような中でも続ける事ができて、続けてきたならではの成果が見られた事が良かったと思います。

今も関係性が続いていますよ。

関係性ができてくると、困ったときに助け合えるんですよね。



○失敗した事は?
いっぱいありますよ。学生同士で交流会しようとなったけれど、結局行わなかった。つないだらお互いに良くない状態になってしまった事も・・・。


失敗してみると、どうしたらよいか、何がダメだったか、などがわかります。


○失敗してもここでやりたいと思うのですか?
うーん、改善点は見える失敗をしていると思います。だから良いかなと。



○企業には行かないのですか?
「お客様」という相手だった人が、仲間になっている、というしくみがつくれるというのがNPOの良いところだと思います。それは企業ではできない事かなと思います。


他にも、これからやってみたい事は?どういうスケジュールで動いているのですか?
など、次々と質問がありました。



 
















******<学生スタッフから聞いてみました>******
話を聞いてみてどう思いましたか?

○NPOって堅くてまじめなイメージがありましたが、「こうしたい!」という気持ちからやっている所なのだと知り、面白いなと思いました。

○大きな事をやっていると見ていましたが、ほんの些細な事から広がってそれができているのだとわかりました。きっかけはなんでも良いんだなと思いました
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私も初めて聞いたような話が多く、聞いていて面白かったです。

高城さんがどうしてこの仕事をしているのか、何がしたいのか、それが今やっている事の基本であるのだと、改めて思いました。



佐川



定期学生サロン「なまはるまき」を行いました!

みなさんこんにちは!最近、暑い夏にぴったりな和菓子を見つけました。「ほうじ茶ようかん」です!食べた時にお茶の香りがふわっと漂って、おいしいですよ。良かったら試してみて下さいね!


さて、8月23日(木)18時~事務所にて
定期学生サロン、その名も「なまはるまき」を行いました!参加学生は積極的に、同い年の学生が何を考えているかを知り、改めて自分はどうしたいかを考える機会となりました。























これは、活動している学生をゲストとして呼び、その活動を始めたきっかけや、プライベートな話まで、ありのままに語ってもらう場です。


多く語ってもらった中で抜粋をして、一部公開させて頂きます!





今回のゲストは・・・

山本恵理子さん[明治学院大学社会学科3年]

「今しかできない事を。」「そしてやりたい事に素直でありたい。」

 [話している中で気になったキーワード*恵理子語録]
 
 
 
 
 
 
 
 














*どんな活動をしてきましたか?

大学のボランティアセンター(学生にボランティアを紹介する窓口)の学生スタッフとなり、様々なボランティアを経験。

STUDY FOR TWO(教科書を販売し、収益金の一部を寄付する活動)の明治学院大学支部代表。

フィリピン行き、村のプロジェクトに参加したり、孤児院へ訪れるといった活動も行う。

 

*どうしてボランティアをしてきたのですか?

もともと社会問題に関心があったこともあるし、色んな人と出会い、目標を見つけ出したいと思ったから。

 

*活動を支える人は?

家族。特に妹の存在がある。妹は様々な紆余曲折がありながら、夢を持ち続け、それに向かって一歩ずつ進んでいる。そんな妹の姿を見て、「もっと自分をフル活用しよう」という気持ちになる。




“恵理子語録”の通り、自分のやりたい事に正直に生きているのだなあと感じました。

ボランティアはなかなか一歩踏み出すのに勇気が必要であったりしますが、


「本当に自分がやりたいからやる。」

ただそんなシンプルな動機なのかもしれません。

今だからできること ―学生だからできること、母親になったからできること、一段落したからできること・・・

このような“今だからできること”の積み重ねが、人生をつくっていくのだなと改めて感じ、

私も、学生のうちだからできる事を精一杯やりたいなと思いました。



山本恵理子さん、とてもいい刺激になりました。ありがとうございました!



ではみなさま、次回のなまはるまきもご期待下さい!!


学生スタッフ 佐川



 






















   

2012年9月5日水曜日

新事務所オープニング記念「多世代ダイアローグ」のご報告

先日のオープニングパーティにはたくさんの方にお越しいただき、ありがとうございました。
パーティの中で行われた「多世代ダイアローグ」はアクションポートらしい企画となり、横浜の市民活動を考える、大切な機会になりました。
その時の記録ができましたので、皆様にご報告をしたいと思います。

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内海氏: 60代から20代まで、多世代のダイアローグをしたいと思います。
世代間のバラエティの豊かさと大学や企業、NPOなどの多様な立場からかかわっていることがアクションポートの特色でもあります。

○嶋田昌子氏(社会教育から地域へ) NPO法人シティガイド協会理事
 横浜の市民活動はどうすすんでいったのか、という話をさせていただきます。  
 横浜の戦後からといきたいのですが、時間もないので、簡単にお話しします。
戦後の横浜、そして米軍からの接収は、その後接収が解除されてから横浜の明るい未来が始まったといっても良いと思います。「コクリコ坂からの時代が、明るい横浜の未来を」でした。東京オリンピックの前年の1963年でした。
 その前年に、飛鳥田さんという革新市政の時期になり、その時代に今の横浜の骨格が作られました。みなとみらい、港北ニュータウンなど、その時期にすべて築かれています。
 今から50年ぐらい前、女性たちを中心に、消費者活動が盛んになり、そこからファイバーリサイクルなどの活動も生まれました。その活動はまだ続いています。また、社会教育で学んだものを社会に還元しよう、という活動は、国連婦人の10年が後押しをしました。そこで、社会教育から立ち上がったシティガイドの話しをします。
 シティガイドは、自分たちが横浜について学んだことを社会に還元しようという思いでできたものです。ペリー来航、開港以来、約150年を経て横浜の人口は現在369万。ペリーの時には400人くらいしかいませんでした。本日のパーティ参加者約40人の中でも、横浜で生まれ育った人はたった4人です。それぐらい、横浜は他都市から移住して来た人たちで構成されている街です。横浜市民であっても、横浜のことを知らない。それでは街づくりができない。だから、横浜市民にもっと横浜のことをわかっていただこう、というのが、シティガイドのはじまりです。
 現在、多くのコースがあり、講座も開催しておりますが、横浜ゆかりの人が企画し、横浜に住むからこそわかる、というような内容になっています。毎年約1万人のお客さんを案内しておりますが、その半分が横浜の人です。そういう点では、当初の目標通りの実績になっています。

○土屋真美子氏(カオスからNPOへ) NPO法人まちぽっと理事
今回は第二世代だということで話をしますが、私自身は「NPO」という意味では第一世代だと思っています。
私はアリスセンターの初代事務局長です。といっても、強い想いをもってアリスセンターを立ち上げたのではなく、雇われ事務局長として、縁もゆかりもない神奈川に来たのがきっかけです。それが1987年、当初のスポンサーは生活クラブ生協で、市民活動の情報を集めるセンターを作ろう、というのが当初の目的でした。ですから、私は当時はほとんどいなかった専従スタッフとして、市民活動についての情報を集めはじめました。
その頃の神奈川は、86年チェルノブイリでの事件の影響で反原発運動が盛んであり、逗子の池子では米軍住宅反対運動があり、その流れから基地問題に対する運動も活発でした。また、障がいのある方々の当事者活動もありましたが、そのほとんどは行政に政策の修正を求める、アドボカシー活動が中心でした。ただ、この頃はじめてNPOという言葉がアメリカから入ってきました。
アドボカシーが盛んだった時代から、「もう行政に期待してもダメだ。自分たちで何とかしよう」という活動に変化していったのが、1990年代のはじめです。たとえば、不登校やDVといったテーマでは、自分たちで相談窓口をつくり課題解決まで事業として取り組み始めました。運動体から事業体に変わる団体が出てきたのです。
そして、事業体になると契約行為が必要になります。でも、社団や財団といった法人格は簡単にはとれない。簡単に取得できる法人格が必要だという声が大きくなり、全国的に市民団体のための法人を作ろうという動きになっていき、94年12月にシーズが設立されました。
その翌年に阪神大震災があり、NPOの活動への社会的な認知度も高まって行き、3年後の98年にNPO法ができることになります。
現在、NPOは全国に45000くらいありますが、かなりの部分が行政の外郭団体になっているように思え、危機感を覚えています。こうした危機感を打破するにはどうすればいいか、というと、自分たちのセクターだけで解決するのではなく、他セクターとの連携がカギだと思います。アクションポートのミッションはセクター間連携です。NPOとだけでなく、企業や様々な組織とコラボレーションをしていき、私たちの10年をつくっていければと思っています。

   大川哲郎氏(JCから社会貢献活動へ) 株式会社大川印刷 代表取締役社長

まずは自己介致します。大川印刷代表取役社の大川です。明治の初めに薬種貿易商としてスタトした「原屋」の6代目の息子が1881年大川印刷を作りまして、昨年で130周年を迎えました。私は6代目の社になります。
JCとは青年会所のことで明るいかな社会をるため、まちづくりを推していく、20から40までの地元の経営者の集まりで、世界各国にあります。
2002年に横浜青年会において社会起家の調査研究を担当しました。10年前ですので、在とは多少ってはいましたが、刺激をたくさんもらいました。これまでのまちづくりでは、「ボランティア」という意が今までありましたが、本当に社会のに何ができるのか、言では明るい社会のためにと言ってはいましたが、本的なことについて考えるようになりました。また、代や社会が化して行く中で「JCがある代からJCもある代」になってきたという危感もえました。
そして、企での社会献活についてですが、当初は景して良くない中で、「この代に社会献をするとは何事か」という叱りを受けたこともありましたが、代において社会献活は天下無敵経営哲学であると思っています。企が持可能な経営をしていくためには
地域に必要とされる企となること、そしてその会社でく人が地域で必要とされる人であること、そうした企を目指していきたいと思います。
3年前から地元の大学から期インタンシップ生を受け入れていまして、会社にいながら社会践について取りむプロセスの体施しています。
としてこれからは志のかなNPOの方たちを携していく必要性を感じていますので、是非他のセクタ、他世代の方からいろいろと学んで行きたいと思います。

   高城芳之氏(学生から社会に関わるシゴトへ)NPO法人アクションポート横浜事務局長

新卒でNPOに入ったという変わり者です。2002年に大学で活動をはじめたのですが、もう10年たってしまいました。僕の世代は学生時代から、そういたボランタリーな活動をしていた人も多かった世代だと思います。ただ、自分よりも約10年下の生田目さんの時代と違うなと思うのは、自分の時代には、自分たちがやりたい活動がないな、と思った学生が、自分でサークルをつくったりして動いてきた点です。大学にボランティアセンターができてきたのも、自分たちの世代で、大学生のボランティアサークルを作ってきた世代です。僕も自分の大学でやりたい活動がなかったので、自分でサークルをつくって活動をしてきました。
 僕が地域で活動を始めた時には、地域に学生が全くいないので、すぐ人気者になりました。地域にはどこにも学生がいない。でも、大学で話をしてみると、地域で活動したい学生は多い。だったら、マッチングしようと思ってつないでみました。ところが、全くマッチングしない。人と人を合わせるだけでなく、ちゃんと関係をつくらないとつながらない、ということがよくわかりました。
 それが縁で、地域の人たちとつながり、自分がやりたいと思っていたことに近いと思って、NPOに就職することになりました。
 当時、親はNPOに就職と言っても、よく理解できない。だから、親からは決して賛成されませんでした。で、自分としてもどうしようと悩んだ時に、佐野さんや益田さんのような、地域で活動している人たちに、後押してもらいました。だから、よし、やっぱりやろう、と思って、NPOに就職することができました。
 NPOで食っていけるか、ということは自分の世代では大きな課題です。それを横浜だけでなく、他の地域でも同じ課題を抱えているのでいろんなところと一緒に考えていきたいと思います。
また、自分が多くの人たちに支えてもらったように、学生など、下の世代とのつなぎ役、伝える役目も僕らの世代に必要な役割だと思っています。
 僕の世代では社会起業家やプロボノ等、多様な関わり方が増える中でNPOはどこがほかのセクターと違うのか、自分はNPO職員として何ができるかの答えを出していきたいと思います。

生田目彩花氏(現役学生から横浜へ)フェリス女学院大学3年生

ボランティアについては選択肢がたくさんある世代というのが私の世代の特徴です。
インターンシップをきっかけにNPOに関わり始め、現在はいろんな活動に参加しています。活動をしてみて、思いを形にするという面白みや、いろんな人たちと当たり前に出会うこと、伝えたことが形になったり、伝えた人たちがボランティアを始めたりするなど、活動を通じていろんなことを感じています。
是非もっと、いろんな学生に参加してもらいたいと思います。

以前、NPOで活動している人たちのきっかけを取材したときに、入り口がたくさんあることに気づきました。キーパーソンに出会ったり、イベントに参加したり、ちょっとしたきっかけが大きくなって思いに変わっています。
そういう一歩を踏み出す人が増えたらきっといろんな人が横浜の主役になれると思います。そうした活動を続けていきたいし、楽しいことを広めていきたいと思います。