会場 横浜市市民活動支援センターワークショップ広場
参加者 20名
【被災地での活動事例報告】
■報告1:村上彩紀氏(日本女子大学3年生)「気仙沼市での活動体験」
○自己紹介 大学入学までの18年間気仙沼で育つ
・今日は、震災から11か月が経って、思うところを話したい。
○震災からの出来事
3月11日~19日
・気仙沼に帰省しようとしていたバスの中で、仙台に入ったところで地震にあった。バスが倒れるのではないかと思うくらいの揺れだった。
・11日から19日までの間、避難生活をした。家族とは連絡が取れないまま避難生活を送った。たまたま会うことができた友人と3人で、真っ暗な中、ラジオのニュースを聞き、泣きながら一晩過ごした。
・帰省途中でお金もあまりなく、またコンビニへいっても飴やガムなどのお菓子くらいしかなく、レトルトのおかゆを温めずに3人でわけて食べた。
・電話も通じなかったが、数日後、auの移動基地が入って家族と連絡が取れた。
3月19日~4月23日
○気仙沼で活動
・民家が立ち並んでいた場所が、がれきの山になっていた。コンビニにトラックが突っ込んでいた、
・ヘドロの除去と現地の避難所のニーズ調査などの活動を行っていた。
・祖父の実家は土台しかなくなっていた。そして、焼けた船が海に漂流していた。
・親類の遺体捜しをした。
・遺体安置所では、特徴を記したエクセル表が何枚もあり、年齢・身長・持ち物などの特徴が合えば顔写真を見たのち、遺体確認を行う。
・遺体安置所は不思議な光景だった。卒業式の準備が整った体育館の中に、警察官がいて50センチおきに棺が置いてあった。
4月23日以降
○東京での活動
・被災地のニーズ調査
・月に1度は帰省するようにしている。
・企業での活動、
○今思うこと
・やっと事実であると思い始めてきた。今までは頭ではわかっているが頭に落とし込めていなかった。気仙沼の状況、これが事実なんだなと心に落とし込め始めている。
・できることを一つ一つ活動していくしかない。友人とも、なかなかつらいとは言えない状況だと話をしている。
・東京で話をしたり、支えられたりして、少しずつ前に進み始めているのがわかる。
・10月に自分が高校生の時によく行っていたファミリーレストランの跡地を訪れたが、まだ何もない状態であった。
・園舎が津波で流された子どもたちへのニーズ調査で鍵盤ハーモニカがほしいと聞いて、会の会長がポケットマネーでプレゼントをしたが、明るく、何気なく演奏をしている姿を見て、まだまだ復興には遠いが、一歩ずつやっていこうと思っている。
・気仙沼が好きなので、自分の将来を考えても気仙沼のために何かをしいていこうと思っている。
○朝日座という建物の背景
・朝日座とのかかわりだが、この建物や人々の活動の魅力にひかれて支援をしている
・H&C財団の助成の審査員をしている。震災の前に、元映画館の朝日座は、映画がだめになり閉鎖されていた。その朝日座の映画を復活させようと、「朝日座を楽しむ会」の前にもさまざまな活動があったが実を結ばなかった。「朝日座を楽しむ会」がH&C財団にチャレンジし、そこでつながりができた。
・「朝日座を楽しむ会」の世話役もしている「南相馬市市民活動サポートセンター」の事務局長が非常に熱心で、他の町中資源(古い醤油屋の煙突など)も連携させて町が活性化することも切望している。
・そんなさなかに、震災と原発事故が起きた。
○今の活動と被災したまちの状況
・朝日座を何とかしたいと活動している。
(朝日座の位置関係の説明)
・地図には原の町と書かれている。浜通りの拠点となる重要なまちである。
・メインの通りから路地で一本入ると朝日座がある。
(被災した地域の説明)南相馬の市街のほとんどは津波被害にあわずに済んだ。
・朝日座も「奇跡的に大丈夫だった」。映写機は転倒したが実害はほとんどなかった。
・最新状況:緊急時避難準備区域であった。(津波で被災した地域と原発の影響。)
・町の人々は避難をし、子どもはなかなか戻せずに男性からまちに戻り始めていた。
・最近になって除染活動が進んで、住民も少しずつ戻り子どもたちも学校へ通い始めた。
○朝日座の魅力
・なぜ、朝日座がよいのか。88歳の建物の価値もさることながら、「楽しむ会」として楽しくやっていきたいという思いが地域で共有されているで魅力的。
・ある映画(ホノカアボーイ)の中で、ハワイの古い映画館の話がある。遠くからもわざわざ人がやってきて、何気なくそこで手作りの1ドル菓子を買ったりおしゃべりをするシーンがあるが、そこに似た独特の雰囲気がある。ある歳以上の多くの市民にとっては思い出が詰まった場所だと思う。
○「そっと応援していきたい。」
・南相馬市にたまたまこうして縁ができたので、これからもそっと応援していきたい。
・やらないはずのブログを震災がきっかけで始めた。やっと人が戻り始め「楽しむ会」の活動も再開されはじめた頃、朝日座を応援しますと書いた。その後、横浜で募金をして持っていったりもした。
○いま南相馬の若者のほしいもの
・南相馬災害FMが今でも続いていて、昨年末には若者本音トークをやっていた。
・みんなの本音は、娯楽の場や施設が欲しいだった。ドンキホーテや「つけまつ毛が買える店」など。被災前からの普通の気持ちで話していた。
○娯楽の場としての朝日座の復活へ向けて
・これまで南相馬には2回行った。朝日座には映写機はそのまま残っているが、音声が悪い。なんとかならないかと個人的には考えたりする。
・しかし、映写を行う技師さんが遠くに避難してしまって困っている。通いで来ることはできるのだが。
・いちばん困っているのは雨もりである。建物修繕には億に届くくらいかかるかもしれず手がつけられていない。ブルーシートでしのいでいるのが実情。
・そのような中、福島大学から30人ほど来て、ペンキ塗りを行っていった。
・最近は、あちこちから支援を受けていて仲間の輪ができつつある。
○横浜の私たちのつながりなど
・以前みんなで作った「元気のつぼ」と構造は一緒だ。地域の活力を出そうと活動する地元組織が重要だ。
・アクションポート横浜として市民活動支援センターの事務局長の小畑氏のサポートをするようなおつきあいができないか。
・また、関東大震災の時にその様子を世界へ伝えた、電波塔が原の町にあった。そんなつながりも南相馬市とある。
・多くの人々が南相馬から避難してきており、昨年末時点で、全国で22,900人 東京区部851人 横浜市235人が来ていて、これもつながりの1つ。
・また、これまで電力をいただいていた。罪悪感のような意識がある。
○朝日座でのイベント
・農作物を朝市として持ってきて、販売をすると同時にトークショウを行った。午後は、映画を見て楽しく大笑いしたり。残念ながら子どもは少なかった。できれば、子どもも来る、おばあちゃんも来る、というあらゆる世代の人が映画館にやってくるという、そんな「朝日座」になると良いと思う。
・「環境未来都市」にも南相馬市は指定された。周りの農業などと朝日座が連携して何か一緒にできると良いと思う。
・自分は、“支援”しているという感覚ではない。これからもそっと“応援”していきたい。
○東樹康雅氏;くまヨコ(くらしまちづくりネットワーク横浜)
http://blog.canpan.info/kumayoko
市内の27のNPO・社会企業・中間支援機関で復興支援のネットワーク組織を形成している。そのメンバーで、2011年5月より毎月、大槌町へ行っている。きっかけは、横浜市市民活動支援センターに、被災地にて支援活動を行っているが、横浜で本業があるため、人的・資金的に継続するのが難しくなりそうだ、という複数の団体からのご相談。何とかしたいということでネットワーク組織をつくった。
5月~7月までは大ヶ口地区の避難所にて炊出しや足浴を中心に活動した。
その足浴でのつぶやき「私は足が汚いからいいわよ」という女性の話。実は、津波で全身、海水をかぶり、何日も入浴できなかったため、泥などがこびりついてしまった、とのこと。足浴でリラックスすると、徐々にその当時のお話しをしてくださった。
・この団体の特徴は、介護や海上レスキュー、カウンセリングなど様々な専門性を持ったメンバーが集まっており、実践者であること。
・本業があるので、長期滞在や常駐はできないが、月に1回でも皆で継続的に行くことで、大槌の方々との信頼関係を構築することができている。7月後半以降は、仮設住宅にて活動を行っているが、7月に大ヶ口の避難所にて、「どこの仮設に行くか分からないけど、絶対に私を探しに来てね」、とご年配の女性から言われた。
・現在は、大槌町の和野地区にある仮設住宅で活動をしているが、町内の様々な地域から集まっているので、未だに隣の人とも話したことがない、というような状態にある。そのため、大槌町外から人が入ることによって風通しがよくなり、コミュニティの活性化の支援の一環として、人々をつなぐことを行っている。また、現地のNPO法人・社協・行政等と協働でイベントの開催なども行っている。
○鈴木篤氏(明治大学大学院);仮設住宅のヒアリング、7月・8月で、延べ20日間、仮設住宅で困っていることや希望などを聞いてまとめた。
・陸前高田の学生と出会い、活動している。復興計画の住民説明会が行われているが、若者が参加していない。大学もなく、現地には若者がいない状況である。
・9月に陸前高田の学生とワークショップを行ってみると、震災前は戻る気はなかったが、震災後戻ろうと考えた学生が、意外と多いことを知った。
・2月19日に第2回を陸前高田で開催する予定。
・ボランティアの人々にも入ってもらい、若者が暮らしやすい、暮らそうという町の提案ができたらよいと思っている。
○吉田洋子氏:
・仲町台の施設で地震を体験。障害を持つ人々は、みなパニックで外へ飛び出した。障害のある人には震災は大変だと思った。震災後は反町ふれあいサロンに関わる地域作業所は毎日がパニックだったようである。
・東北の障害のある方々の心配をしていた。行ってみようと思うが、逆に足手まといになるのではないかと思い、すぐにはいけなかった。3月11日から、自分自身がけがをしたり肉親が亡くなったりしたりして、悩んだ。気持ちがふさぎこみ、「明日死んでも良い」と思ったりもする状況だったので、遅れて活動を始めた。
・阪神大震災のとき、男性は次の日から会社へ行った。女性が、後から何日か遅れて出社したら会社のことを考えなかったといわれ首になった。そのようなことがあったようである。
・中越地震のときには、女性が翌日すぐに出社やしたら「家のことや地域のことを考えないと」いわれた。
・女性だけが炊き出しなどの映像に出ているが、女性ばかりで男性との差別を強調することになっている。男はビジョン作りで女は作業。そんな役割分担の構造が問題である。
・かながわ女性会議で、勉強会を行っているが、気仙沼の勉強会を行った。横浜の女性消防官第1号、秦好子氏、元横浜国立大学の先生で今は横浜市立大学の先生の三輪さんから子どものことの話を聞きワークショップを行った。
・過去の災害に学び、これからに備えなければならないと思い、活動を始めた。
・実際に始めてみると、ブルーシートの上は靴を脱ぐのかそのままで良いのかもわからない。わからないことだらけであった。三浦市の避難所開設時には、避難した人々は、水や食料などは何も持たずに避難した。
・訓練時でも、「食事にします」と言った時、何もでなかった。参加者は何も持つて来ていなかった。水と食料すら持たずに参加した。子ども連れの人でもそういう人がいてびっくりした。
・東日本大震災女性支援ネットワークに学びながら災害に備えようという活動。
・仮設住宅にも行ってきた。女川、石巻、南三陸、登米などの仮設住宅に行って、女性の生活の様子を聞いてきた。
・阪神淡路では、性犯罪が多発したが、今回の東日本大震災では、違う問題があった。家庭内中の性暴力が起きていた。この地域では、普段からそのようなことがあったが、そのようなときは、親戚の家などに避難していたそうだ。が、今回は、津波で避難する場所がなくなってしまったので、避難できない問題などが続出している。
・仮設住宅ではお金が配られてもパチンコやお酒に使われてしまう。
・都会(阪神)と田舎の今回では違うなという印象を持って帰ってきた。
・反町駅前ふれあいサロンと江の島で被災支援として、被災地の作業所などから仕入れを行い販売を行った。
・かながわ女性会議で行なった3回目の勉強会は、一本松まちづくり協議会の米岡氏と連携して行った。男性も参加した。男女共同参画についての情報が伝わって良かったと思った。これからの動きが見えた。
・成城大学で教えているが、陸前高田の学生がいて、「郷里を調べる」というテーマで課題を出しているが、震災時の状況の報告があった。OBで大槌町の映画を作った人がいて授業でその上映とトークをやり、非常に学生たちも感じることが多い授業であった。
・長野県飯田市でも活動しているが、南相馬から避難している方々がいて南相馬の復興計画に意見を間接だが出している。・神奈川県の地域防災計画にかながわ女性会議として提言を出した。今までの震災の体験が男女共同参画の視点であまり生かされていないと思った。
○服部哲氏(神奈川工科大学助教)
・「想いでサルベージオンライン」という活動をしている。
・活動のはじめは、機器を設置してインターネット環境をそろえた。
体育館に70万枚の写真が集められた。
・写真とは、楽しいときに取ることが多く、記念になっている。人に伝えたいものを撮影するものだ。
・そのような写真を、デジタル技術を使って復元した。
・心の支えが必要で、写真の復元の活動の価値があることに活動の中で気がついた。最初は物資のほうが優先だと思っていた。
・手順:
⇒ 洗浄 泥を剥ぐ、水で洗う
⇒ 複写 再度撮影する(デジタル化)
⇒ レタッチ 修復(レタッチソフトで実施)
⇒ アーカイブ 検索が可能に。伝承館で展示
・アドビの全面支援を受けている。レタッチ講習会の実施、専門学校を借り切って講習会を行った。
・復元した写真の返却率は。それしか返せていない。
・現地の人には、自分たちは「外部の人間」であるという意識がある。しかし、通っていることによって気持ちを理解し、友達になることはできた。
○土屋氏
・おもしろい活動がある。
○高見沢氏
・南相馬市では町民復興会議が復興計画づくりに携わってきた。先日の災害FMに出ていた地元のスーパーの若手店主は、その場が、商工会議所などそれぞれの代表の発言の場だったことを残念がっていた。大きなビジョンは一緒のはずなのに、私たちの視点がとりいれられていないと。復興計画はできたが、身近なこととのかい離が大きいと。
・どのようにしたら若者の思いと復興計画のかい離を近付けることができるか。
○村上氏
・自分は逆である。これまでは地元のことが大好きで帰ろうと思っていたが、震災後、東京でもう少し頑張ろうと思った。小さい子が好きで、被災地だけでなく、多くの子どもに接する仕事をしたい。
・現状は、地元には仕事がないので東京で働くしかない。
○鈴木氏:職がないので帰れない!どうするか?
・ワークショップなどをやってもどういう意味があるのか。職を作るといってもいったい何ができるのか。震災後、職がないないといわれてるが、今更起きたことではないという意見がある。
・こういう非常事態だから、職を持って来るということができないか。
○松前氏:このようなときに、地方で何かできるのは、政治しかないのでは。しっかり政治家を見極めて投票するしかない。
○佐藤氏:心の支援を一緒にしていくのはたやすいが、問題を積み上げていって、実際に変えていくのが大変難しい。吸い上げてくれても何もできなければ、不満がたまる。受け取る場をあらかじめ設置しておく必要がある。
○服部氏:プロジェクトの目標は若い世代を育てること。職をどうするか、3年後、10年後、に若い人々に技術を付けていきたい。また、プロジェクトが仕事になり、産業にすることはできないか。
○吉田氏:阪神の時と、東日本大震災での性犯罪の違いがショックだった。
・町の人が優しい。飯田で頑張っている人たちは、地元の人ばかりではない。違う地域から来た若い人もいる。そういう人も東日本にボランティアでいった。
・全国からボランティアが、東日本には集まっている。力のある人が集まっている。
・自分の居場所を持って居る人がうらやましいとのことで飯田に来たいというボランティアがいた。
・東北の復興には若い人がいくのがよい。定住して頑張る人がでて来て欲しい。
○村上氏:・震災から1年が経とうとしているが、今皆さんにこうしいてほしいということは、何があるかわからない。 一歩ずつ、頑張っていきたい。
○高見沢氏:阪神淡路大震災で、わかったことがある。
・私ができることは、自分がこうだ、と決めたものをそっと応援することだ。
・復興資金がすべて道路になって、維持費がなくなってしまうということになりそうだが、都市とは、それぞれがただ一つの物でかけがえのない世界。そこに街ができたということは、必ず復興する力をもっている。そういう意識を持つことが必要。
・自分のまちの将来に向かってビジョンを持って生きてほしい。こういう風になってほしいということをしっかりといって丁寧に実現していくことが重要だと思う。












0 コメント:
コメントを投稿